いつも近くまできているものの、偶然には通りかかることもできず、今日までのびのび(約1年?)今日は予てより予定を織り込み済みでした。
得意のwikipedia引用
天智天皇の死後、672年に壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)を倒し、その翌年に即位した。その治世は14年間、即位からは13年間にわたる。飛鳥浄御原宮を造営し、その治世は続く持統天皇の時代とあわせて天武・持統朝などの言葉で一括されることが多い。
壬申の乱。数万の軍勢。美濃・尾張・近江と東国など。
671年10月、天智天皇から後事を託されたが、大友皇子を推挙して、自らは剃髪し吉野へ下る。672年6月に、挙兵を決意し、大友皇子を自殺に追い込んだ。
かなり戦略的であり、当時がどのように統治されていたのか不思議です。
即位から13年間の治世。飛鳥浄御原宮を造営し、その治世は続く持統天皇の時代とあわせて天武・持統朝などの言葉で一括されることが多い。日本の統治機構、宗教、歴史、文化の原型が作られた重要な時代だが、持統天皇の統治は基本的に天武天皇の路線を引き継ぎ、完成させたもので、その発意は多く天武天皇に帰される。文化的には白鳳文化の時代である。
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